旦那は人が斬れますかね

江戸時代の常識・風習

嘉永六年八月二十一日

八月も暮れようとしたある日、鍛治橋の藩邸に、思いもかめぬ人物が訪ねてきた。盗賊、寝待の藤兵衛である。竜馬が、「こいつぁ懐かしい」と招き入れると
「旦那、頼みがあるんだ。藪から棒にこう言うのも何だが、旦那は人が斬れますかね」
「だれをだ」
「それが旦那のご存知のやつなんで。そら、伏見の寺田屋で、われわれの障子を開けて覗いた浪人者。紋所は六本矢車」
「思い出した。参州吉田の宿場茶屋で餅を食べていた時も現れたよな」
「六月の黒船騒ぎの頃、あっしがさる岡場所に遊びに行ったと思っておくなせぇ」
「思っても良いがその岡場所って何だ」
「吉原ってのはご存じで。岡場所は、そうはいかない色街で」
「私娼窟のことか」
「そいつにいくと、相方に出た女がこの場所に似合わないので、一晩語り明かしたら武家育ちで、ここには未だ一月もたっていないとのこと」
「わかった、つまりはその女が仇を探している。話しているうちに六本矢車らしいとわかった。そこで俺に助太刀しろと」
父が京の山科にある毘沙門堂問責の家来で、仙台からの浪人・信夫左馬之助が公家か寺院に使えようとしたところを邪魔をされたと逆恨みして斬殺されたらしい。
「仇討ちの助太刀は、古来、武家の本懐とされたものだ。本人に会った上で引き受けることにしよう」
「ありがてぇ」

(竜馬がゆく 1 )

仇討ちのルール

江戸時代には、個人で復讐する仇討ちが認められていましたが、でも実際はかなり大変だったようで…

仇討ちが許される決り

1)自分の目上の者が殺された
主君が殺された場合と、親や兄が殺された場合に限り仇討ちが許される。
妻や子ども、下の兄弟、友人が殺されても仇は打てなかったのです。

2)不倫をされた 妻敵討(めがたきうち)
自分の妻が不倫をしていたときには、妻と相手の男を討ち取っても良い。
当時の不倫は、まさに命がけだったのです。

3)殺人を届け出る 仇討ち免許証
敵討ちは事前に許可を受ける必要があった。
町奉行や藩主に「敵討ちをしたい」「藩を出て仇を追いかけたい」ことを届け出る。届出を幕府に送り、吟味の上(仇討ち免許場)を発行してもらう。

4)バックパッカーとなる 日本中のどこかにいる仇を探す
藩の許しが出ていると言っても、藩の仕事をしていないのでその間は藩から給金が出ません。敵討ちの旅に出た以上は、成し遂げない限り藩には戻ってこれないという考えもあったので、でバイト(日雇い)をしながらの旅になる。見つかるまで、五年十年とかかると・・・。

5)見つければ、総力戦
やっと見つけても、河原で1対1の真剣勝負ではなかった。お互い助太刀を頼み、集団戦になることもある。
どうしても勝てそうにない相手の場合、物陰に隠れて突然の闇討ちをすることもあったそうです。