わしは、雑兵じゃな

嘉永六年六月四日 土佐藩邸

第一夜の指示は、待機。

ほかに指示といえば、竜馬たち江戸遊学の諸生も臨時藩兵としてさし入れられたぐらいのことである。これで江戸における土佐の藩兵は四百人に成る。
「わしは、雑兵じゃな」
ところが、武市半平太も雑兵であった。当人はまだ部屋住みで遊学の身だから、あつかいは徒士にすぎない。
「武市さん、俺たち雑兵はどうする」
半平太は少し考えて「剣術の胴でもつけるか」
「そりゃ、いい思案だ」
国許から剣術を学びにきている軽格の連中は、みなその装飾にした。甲冑武者どもより軽格のほうがかえって頼もしくみえる。

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ほいでぇなぁ

上士団の中心は三百石弘瀬伝八郎という藩の北条流軍学師範である。
「ほいでなぁ、首実検の時はなぁ」
と、若い者に戦陣の講釈をしている。若い上士たちは、真剣にきいていた。
弘瀬伝八郎は、アメリカ兵の首を斬った後の、首実検の複雑な作法を説明している。
北条流は徳川初期、北条安房守が開いた軍学で、歴代山内家の御家流になっており、内容といえば、兵の訓練などはほとんどなく、首実検の作法のたぐいばかりを教える。

(これで、黒船が撃てるのか)
竜馬は、腹が立ってきた。

memo 与力 中島三郎助の憂鬱2

二日目に、中島三郎助は、香山栄左衛門を連れ立って小舟に乗り込む。香山は中島と同じ与力で中島と義兄弟(妻同士が姉妹)でもある。

香山は「浦賀奉行」を名乗り乗船しての応対を希望する。ペリーは奉行=知事の認識なので、乗船を許す。(中島は前日に「奉行は投錨中船に乗船出来ない」と言っていたのに・・・。)

乗船した二人にペリーはアメリカ大統領の国書を渡すから早急に返事するよう迫る。
「国書を受け取るかどうかは幕府のお伺いが必要だ。そのためには8日かかる」と返答する。しかし、江戸は目の前だろうと、三日以内の返答を約束させられる。日本の事なかれ主義を把握しているペリーは、のらりくらりとごまかす対応には強引な推しが一番効くことを十分把握していたのだ。

香山とペリーが協議をしている間、中嶋三郎助はサスケハナ号の装備をチェックしていた。サスケハナ号には日本では見たこともない巨大な150ポンド・パロット砲2門を始め多くの大砲がセットされている。それらの武器がどれぐらいの威力か、射程距離がどれぐらいあるかなどを聞きまくる。中島はあけすけなスパイ行動をしていたのだ。

黒船の大型船は東京湾の上流まで入ってこれないので、搭載している大砲の飛距離では江戸城まで届かないことを確認していた。
しかしここで、見たこともない小型高性能大砲を搭載していることを知ってしまう!
黒船が持つ「ボートホイッスル砲」は、小型船舶に載せることができしかも飛距離も十分あったのだ。
ボートホイッスル砲を載せた船舶なら東京湾から入り、江戸城に大砲を撃ち込むことが可能となる。
ここで初めて江戸幕府はペリーの黒船を静観できないことに気づいたのである!

江戸三百年の間、武器と軍艦の製造技術は凍結していたので、恐ろしいほどの進歩を遂げていたのです。