黒船来航 第一夜の指示は、

嘉永六年六月三日

竜「武市さん、なにやら大変らしいなあ」
「ああ」武市は落ち着いた男なのである。
竜「いったい、どう大変なのだ」
「知らないで君は騒いでいるのか」武市は、竜馬をあわれむようにみて、
「黒船がきたのだ」

竜「武市さん、黒船のことはわかった。しかしなンぞ持たんかえ」
「なンぞとは、なんじゃい」
「食うもの」
「竜さんはのんきなお人じゃ」

竜馬が三つの餅を食い終わり、武市の飲み残しの茶を飲もうとした時に、徒士目付の吉田甚吉、安岡千大夫が駆け込んできて、
「おのおのの道場に集まりますように」
「竜さん、いよいよ黒船退治じゃな」

土佐藩邸は、藩士を一堂に集める場合には、同情を用いるのが普通だった。二人が行くと、びっしりと人が集まっている。

土佐藩江戸詰め重役からの、第一夜の指示は、   待機!

まて。

memo 与力 中島三郎助の憂鬱1

1853年(嘉永6年6月3日)夕刻、浦賀沖に見たこともない黒船が現れた。

ペリー艦隊に出向いて行ったのは、浦賀奉行所の与力、中島三郎助である。

江戸幕府には事前にペリー艦隊が開国を迫って江戸までやって来る情報は入っていたが、入港する浦賀の奉行所にはそんな情報を教えてもらっていない。中島三郎助は来航の理由はもちろん、幕府から対処法を指示されないままの応対になる。

まず1隻の小舟を送り、フランス語で「立ち去るように」と書いた幕を見せるが、当然のように艦隊は黙殺されて反応がない。

中島三郎助は、オランダ語を話せる通訳を引き連れ小舟に乗り、直接対応することに。
艦隊指揮官に会いたいと申し込むと「指揮官は、最高位の高官としか会わない」と返答され、中島は苦し紛れに「浦賀奉行所・副奉行の中島だ」と名乗ることにして、まずは副奉行の自分と同等の士官と事前協議できないかと申し入れ、コンティ大尉との協議に持ち込むことまで成功する。

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コンティ大尉「なぜ浦賀奉行が出て来ない」
中島「奉行は投錨中の船に乗り込むことを法で禁じている」
コ「日本国皇帝(天皇)宛に、アメリカ大統領の国書を持参している。責任持って受け取る高官を派遣してもらいた。早急にその日時を指定して頂きたい」
中「そんな要請は受けられない。外国人との交渉は長崎で行うことになっている」
コ「それはできない。その前にまず、我が船の周りを囲む監視船を撤去してほしい」
中「それはわかった」(中島は合図を送って撤退させる)

翌日にもっと高位のものを連れて来る約束をしてその日の会議は終わ流ことになった。