予兆

嘉永六年六月一日

この年、五月下旬から異常高温がつづき、六月に入っても一滴の雨もふらなかった。
「天候だけではないのでございますよ」
「というと?」
「町家の者も、どこかへんなのです。」
「どのようにおかしいんです」
「鯉や、大烏賊をまつったり」

さな子のいうところでは、その大烏賊は上総海岸でとれたもので、一丈七尺もあり、目方は五十貫という。 それを見世物にしたところ大変な人気で、しまいにはそれを神体にしてさい銭をむさぼる行者も出てきた。

memo ペリー琉球王国に現る

ペリーは江戸幕府との交渉の予行演習として、琉球王朝と交渉を行っています。

当時の琉球王国は独立国家で、薩摩藩と交易がありました。ペリーはこれを、日本が琉球を植民地にしていると認識していました。そこで考えたミッションは

1)日本からの独立を進言する
2)そのために王宮に訪問して国王と対面する

琉球に乗り込んだところ、最初に摂政が出てきて対応したので、ペリーも自分ではなく、No2を折衝相手に出してもったいぶる。その上で、摂政訪問の答礼として王宮で国王を訪問すると申し出た。
夷人を王宮内に入れるたくなかった琉球では別の場所を提案したが、イギリス軍が王宮訪問した情報を得ていたので、申し出を却下した。
訪問日には、8人が担いだ輿に乗り身分が高いような演出をして、現地のガイドを雇い、別の場所に誘導する国王側をガン無視し、ズケズケと正門から乗り込んでいきました。

ペリーは「琉球王国は、豊かな自然と文化を持っているのに、極悪非道な日本国の植民地となって下層の人々はとても苦労をしている。日本のスパイを追い払うことによって、下層の人民も安心して暮らせるようになるだろう。アメリカ当局から権威と支持が与えられる限り、私はこれらの人々に保護を続けるつもりだが、それは賢い策であり、また正義でもあるのだ」と伝えたことを航海日誌に書き残しています。

その後、「極悪非道な日本が琉球を植民地にしている」
が間違いだったと訂正しているが、琉球王国を日本から独立させる考えは、日誌にも残していました。

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ペリーが琉球王国から江戸に向かうことは、琉球国から薩摩藩を通じで江戸幕府まで伝わっていました。
ペリー艦隊は突然やってきたわけではないのです。