1853-06

徳川幕府

予兆

この年、五月下旬から異常高温がつづき、六月に入っても一滴の雨もふらなかった。「天候だけではないのでございますよ」「というと?」「町家の者も、どこかへんなのです。」「どのようにおかしいんです」「鯉や、大烏賊をまつったり」さな子のいうところでは...
諸外国

ペリーの来日計画

memo マシュー・カルブレイス・ペリー ペリーは日本開国任務が与えられる1年以上前の1851年1月、日本遠征の独自の基本計画を海軍長官ウィリアム・アレクサンダー・グラハムに提出していた。そこで彼は、以下のように述べている。 1)任務成功の...
徳川幕府

夷狄(いてき)うつべし

嘉永六年六月十一日 品川藩邸 数日藩邸を留守にしている間に、軽格の連中の空気がひどく変わっているのに驚いた。 殺気立っている。 黒船の人もなげな恫喝ぶりを見聞きして、すっかり激昂してしまったらしい。 「夷狄うつべし」 「公儀は、なんと弱腰か...
徳川幕府

甲冑、刀槍

嘉永六年六月六日 その翌々朝、やっと出勤令が出た。 竜馬らは、品川に送られることになり、早暁、隊伍を組んで鍛冶橋屋敷を出た。 「武市さんよ」 「なんだ」 「こうとわかっておれば古道具屋でもやっておくのだったなぁ」 うわさでは、諸藩の武士が江...
土佐藩

わしは、雑兵じゃな

嘉永六年六月四日 土佐藩邸 第一夜の指示は、待機。 ほかに指示といえば、竜馬たち江戸遊学の諸生も臨時藩兵としてさし入れられたぐらいのことである。これで江戸における土佐の藩兵は四百人に成る。 「わしは、雑兵じゃな」 ところが、武市半平太も雑兵...
徳川幕府

黒船来航 第一夜の指示は、

嘉永六年六月三日 竜「武市さん、なにやら大変らしいなあ」 「ああ」武市は落ち着いた男なのである。 竜「いったい、どう大変なのだ」 「知らないで君は騒いでいるのか」武市は、竜馬をあわれむようにみて、 「黒船がきたのだ」 竜「武市さん、黒船のこ...