べこのかあ

嘉永六年四月十八日

「なんじゃ、坂本。そのかっこうは。人を嘲斎坊(ちょうさいぼう)にしくさるか」
「おれは、べこのかぁじゃけんのう。べこのかあがべこのかあどもを退治するのは、この格好が一番えぇ」
「ちぇっ、この べこのかあぁ」せまい部屋に土佐言葉の罵声がはんらんしたかと思うと、なかまの一人が行灯を消した
「かかれっ」

行灯がへし折られ、障子が倒れ、根太がゆるむほどの大騒ぎになった。
「竜馬を伏せたぞ」

「もうよかろう。明かりをつけろ」
中から、半死半生で出てきたのは、謹直な武市半平太であった。
「ご一同、ひかえなさい」竜馬はコソコソと部屋を出て行った。

「まず、軍略を心得ちょる」と、このふんどし事件の後、鍛冶橋の土佐藩邸で、竜馬の人気がにわかに上がった。

武市先生、なぜ竜馬の非礼をおとがめにならなかったのです」
「秀吉も家康も、黙っていてもどこかあ愛嬌のある男だった。明智光秀はひとに慕い寄られる愛嬌がなかった。英雄とは、そうした者だ」
「竜馬は英雄ですか」

「もろこしの項羽は、文字は名を記すに足る、といった。英雄の資質があれば、それで十分さ」
その頃、武市がほめちぎった「英雄」は桶町の千葉道場の板敷きの上で竹刀を上段にとってあぶら汗をながしていた。
相手は道場主千葉貞吉の息子重太郎で龍馬よりは一つ年上の目の細い若者である。

memo 土佐弁

べこのかあ

土佐弁の標準語訳を調べると、「ばか」や「馬鹿者」となっています。でも語源がわからない。
「べこ」を牛のことにすると。
「かあ」を母とする推測では、牛の母がなぜ馬鹿者なのか繋がりません。
「かあ」を顔とすると「牛の顔」になり、眠そうな目とヨダレをくる口元が想像されて、昭和の漫画に出てくるおマヌケの共通モチーフに近いですね。
「へご」が、へごな物 など粗悪な事で使われていて、
「べこのかー」が。なきべその顔、ブス顔(軽蔑語)としている訳もあります。
諸説あるようなので、さらに調べます。

とっちょっちゃっちゅうってゆうちょっちゃって

「〜ぜよ」が付いていたら土佐弁だとやっと判断できるぐらいの認識ですが、実はかなり複雑な言語です。
土佐弁には、少しの言い回しで
在進行形  [食べゆう:食べている最中]
現在完了形 [食べちゅう:食べて終わっている]
過去進行形 [食べよった:食べていた]
過去完了形 [食べちょった:食べて終わっていた]

と分かれています。これはネイティブじゃないと使いこなせません。
赤文字の標準語訳は、「取ってあげているって言っておいて!」と恩義せがましく言っている表現です。
これでは、テレビドラマでネイティブなセリフ表現にして、意味がわからないと苦情が来たのもうなづけますね。
テレビが普及してどの地方にも同じ標準語のニュースが流れる今でも、高齢な世代の訛り言葉で理解できないことがあります。それは、旅行や移動制限があった江戸時代で、一生生まれた藩から出ず、言葉はとてもガラパゴス化していったのも大きな一因です。

ここで疑問が。

土佐弁がこれだけわからないのに、薩摩や長州の志士たちとは、どんな風に話をしたのでしょうか。江戸幕府を倒すという大胆不敵な話し合いの席でお互いの話している言葉がわからないと話がまとまりません。

坂本龍馬をはじめとする志士たちは、江戸に出て一年以上の何かしらの修行をしています。この修行期間に当時の江戸での共通会話言葉を習得していったのでしょうか?

当時の重要な懸案が書簡を持って行われていたのは、なまった言葉では意見交換できないのが原因かも!