吉田宿

嘉永六年四月四日

途中、雨の日が二日、風の日が二日あった。
桑名の渡しでは、船町に一日無駄にしたが、あとは快晴が続き、竜馬は快い初旅になった。

その浪人を再び見かけたのは、参州吉田の宿の茶店で昼がわりの餅を食べていた時であった。

「坂本の旦那、六本矢車紋ですぜ」
「…………」


「先日は失礼つかまつった」
このとき藤兵衛は横から龍馬の顔を惚れぼれと見た。この田舎者は、そっぽを向き、返事もせずに、悠然と餅を食っているのである。

「野郎、ひどく怒ってましたぜ」

memo 宿場の間にある、間の宿や茶屋

五街道の宿場は、幕府公認の宿泊エリア。公用の旅行者や貨物を格安で泊めたり取り扱う義務があり、その負担を補うために旅籠の営業や〝飯盛女(遊女)〟を認めていた。
しかし、宿場町の間に距離があったり、大井川の川留めなどどうしても旅人が溜まる場所に、間の宿ができた。
政府公認の宿場を守るために間の宿では宿泊禁止としていたが、自然発生的にできたもので村や町に発展していった。

間の宿より小規模な施設を立場(たてば)と言い、いわゆる“峠の茶屋”等がそれである。 間の宿のなかには立場が発展したものもある。

時代劇での休憩場所のイメージは、赤い暖簾の茶屋ですよね。