三十石船 桂文枝

嘉永六年三月二十五日

船が天満八軒屋から五里さかのぼって河州枚方についた時は、一番鶏の声が聞こえてきた。
目が覚めた時には天がほのかに白み始めている。
「どこかね、ここは」

男は黙っている。旅の行商人風の男で、ひどく背が低いが顔は不釣り合いに大きい。
「あんた、耳がないのかね。」
「あるさ」

「坂本の旦那、でしたね」
「…」今度は竜馬がだまる番だった。

「いったいおまんは、何者じゃ」
「覚えといておくんなさい。寝待の藤兵衛と申しやす」
「妙な名だなあ。稼業は何をしている」
「泥棒」

memo 三十石船 〜夢の通い路〜 桂文枝

大坂人の江戸時代の楽しみ伊勢参り、通称「お伊勢さん」の旅程の最後は、歩かずに大坂の八軒家まで戻ろうと、伏見・寺田屋の浜から三十石船に乗り込んだところ、船の中でもあれやこれやと・・・。上方落語の「三十石船夢乃通路」のストーリーです。

初代桂文枝[1819年(文政2年頃)生まれ明治7年没]が作った大ネタです。まさに幕末期の只中に生きた噺家で、騒がしくなってきた時代に色々な人が行き来する三十石船を見ながら創作したのでしょうか。

船乗り込みをして漕ぎ出し、しばらくすると船頭たちが景気付けに歌い出すのが「三十石船舟歌」DVDの中で二代目桂枝雀が楽しそうに一節唸っているのが懐かしいです。名人五代目三遊亭圓生は、上方の出身なのでナチュラルな京都弁・大阪弁を使い分け、歌の節回しも綺麗でした。
一方、笑福亭一門では、楽屋の皆が(やれさよいよい よ~い)と演者の唄に併せて囃子をつけ夜中の船旅の哀愁を感じさせる演出で必聴です。

5代目笑福亭松鶴が正岡容に「『三十石』の舟歌の場で、楽屋にいる前座が銅鑼を鳴らすが、それには宵と夜更け、明け方の三つの鳴らし方があり、出来ない者は他人の鳴り物一つ気を回さぬ未熟者との理由で、二つ目に昇進してもらえなかった」といいます。上方落語にも香盤があった時代の話です。