大歩危

嘉永六年三月十九日

土佐の高知から江戸までの里程は、山河、海上をあわせて三百里はある。まず、旅人たちは、四国山脈の峻険を踏み越えなければ成らなかった、
ー 見送りは、領石まで。
というのが、城下の習慣だった。親兄弟は、送らない。親戚、知人、ざっと20人ばかりが領石まで見送った。

「手のかかる変わりもんじゃ」領石のちかくまで来ると、また姿が見えなかった。さがしてみると勝手に見知らぬ家に上がり込んでいた。
竜馬が立ち上がると、旅の僧が声をかけた。
「異相だな。眉間に不思議な光芒がある。将来、たった一人で天下を変貌させるお方じゃ」
「嘘をつけ。わしは、剣術師匠になる。この重い撃剣道具を見ろ」

道中、晴天が続いている。
龍馬は、阿波ざかいのいくつかの峠をこえて、吉野川上流の渓谷にわけ入った。地形は複雑で、途中、大歩危小歩危などの難所があり、ときに1日歩き続けても人影を見ない。

イメージ/祖谷山村かずら橋

大歩危

坂本龍馬が辿ったのは、高知から徳島県鳴門に向けての山越えの旅程です。

四国の真ん中には、日本百名山の中でも険しさで名を馳せる「剣山」をはじめとした連山が大きく横切っています。名前のユニークさで有名な大歩危・小歩危や、平家の落武者の隠れ里が住んでいると言われる土地もあり、山深いところです。
ちなみに大歩危は、民俗学者 柳田国男氏が編集した「妖怪名彙」のほか、水木しげる氏の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場する有名な妖怪「子泣き爺」の故郷としても有名なんですね。

高知から鳴門に向かう道には、四国八十八ヶ所巡りで通る海沿いの「土佐東街道」もあります。

土佐藩は、まず四国から本州へ渡るまでが大変ですね。

北山越え

高知城下を北へ十二里。土佐の三大番所の一つ立川の関(長岡郡大豊町)を越えるルート。
この後、江戸からの帰郷にこの道を使ったとされています。
水戸藩の炭谷らと会合を持った時には、立川の関で待ち合わせをしました。