出立〜からたちのまじない〜

嘉永六年三月十七日

当時、土佐の高知城下では、家の者が旅にたつとき、奇妙なまじないをする。これを、
からたちのまじない
というのだ。いつの頃から、はじまったものかはわからない。道中、苦難なことが多いために、ふたたび家郷へ生きて帰ることを祈るためのまじないなのである。

乙女は暗い路上にで、門の雨だれが落ちる場所に、小石を一つ置いた。
「竜馬、まじないですから、この小石をお踏みなさい」
「こうですか」竜馬は、ちょっとふんでみて、「姉さん、お達者で。今度土佐に戻ってくるときには、他家のお人になっておられますな」
乙女はそれについては何も言わなかった。

「父上、それでは」
「おぅ、江府につけば便りをせよ。竜馬、もはや往け」
と命じ、朗々と当時流行の市を吟じはじめた。

男児 志をたてて郷関(きょうかん)を出づ
学びもし成らずんば死すともかへらず

土佐の高知から江戸までの里程は、山河、海上をあわせて三百里はある。

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泣き虫で、落ちこぼれだった幼少時の龍馬が、14歳になって、土佐城下・日根野道場に通い、メキメキと上達して目録を授かるまでになり、いよいよ江戸に修行の旅に出る。
金持ちの坂本家としては、家を継げない次男坊が「生活の糧」を手に入れることになるので、江戸遊学は喜ばしいことだったのでしょう。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、江戸まで約1ヶ月はのんびり一人旅でスタートしています。
でも金持ちの坂本家が、かわいい末っ子を一人っきりで旅をさせたのでしょうか?
武術の目録をもつ男だから一人旅も修行だと送り出した。そして江戸への街道筋は日中の往来なら心配ないのは確か。
でも、あの「泣き虫で落ちこぼれ」だった末っ子で、しかも興味のある物にはすぐに夢中になる体質の龍馬。心配じゃありませんか?
別の資料では、帯同者がいたことを記すものもあるので、江戸までか途中までを帯同した者があったと考える方が理にかなっているかもしれません。