竜馬がゆく船中八策 「将軍が大政を奉還する。京の朝廷はお受けとりになさる。それだけではなんともなるまい。」と、竜馬は言った。「なるほど」京の朝廷は、おおげさにいえば源平時代この方、政権というものを持ったことがないのである。途中、南北朝のころ、後醍醐天皇が一時的... 1867.06.13竜馬がゆく
徳川幕府渋沢栄一 「近代日本経済の父」渋沢栄一 渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の豪農の家に生まれます。父の市郎右衛門からは、跡継ぎとして幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、商売に必要な学問の手ほ... 1861.04.01徳川幕府文化人教養人
薩摩藩小松帯刀 その翌日。慶応二年正月21日が、薩長両藩の会盟の日となった。会場については、竜馬が「長州人の心は傷ついている。かれらがいる小松の邸を会場とし、薩摩側が腰を上げて出向いてゆく、というかたちをとってはどうか」といった。西郷は承諾した。ただ、薩人... 1866.01.20薩摩藩
幕末の女性新徴組 中澤琴 あの浪士団は朝廷のご用のためのものでござりまする。と、ぬけぬけといっている。奇術師とすれば清河ほどの奇術師はいない。してやられた。とみな気づいた。奇術のたねがあとからあとから割れてゆく。が、清河は、度胸がいい。タネが割れてもせせら笑っている... 1863.10.01幕末の女性竜馬がゆく
土佐藩西郷隆盛と龍馬 とにかく西郷は竜馬を(今まで見たことのない型のやつだな)とおもった。竜馬も同じことを思った。論理(ロジック)が、けんらんたる逆説にみちている。竜馬は、「大奸智・無欲の人」たらんとし、西郷は、「大至誠にして欲を去ろう」とした。竜馬にいわせれば... 1864.08.21土佐藩薩摩藩
幕末の女性大山捨松 大山捨松 会津戦争で凄惨な現場を目の当たりにする 会津藩重臣・山川尚江重固(ながえしげかた)の2男5女の末娘として生まれ、幼名は咲子と名付けられました。幕末の騒乱が高まった慶応4年/明治元年(1868年)。薩長連合の明治新政府軍が幕府軍を負... 1860.03.16幕末の女性